このところ、日本の大手企業が急に環境保護に関心を示し、「ESGとは」「サステイナブル・カンパニーとは」と言い始めた。
私自身、これまで様々なクリーンエネルギー事業に欧州のコンサルティング会社と組んで関与してきた。例えば日本ガイシが世界に誇る大型蓄電池であるNAS電池活用、屋根置き太陽光発電会社の設立支援、水素エネルギー活用事業の啓蒙に、この10年以上携わってきた。その間当方にはこのコンサルティングによる利益は全くもたらされず苦労してきたが、この急激な産業界の変化に複雑な思いをしている。
当時、せいぜい緊急時の非常電源程度としか認識していなかった日本の大手企業に、このところ急速に議論が出始めている仮想発電所に蓄電池をどう活用するか、欧州の知見も入れて各大手企業に売り込んだものの、その理解度の低さ、反応の鈍さには耐えられないものだった。
特に日本の大手商社の多くは「それ儲かるの」の一言で何も関心は示さなかった。
ところがここにきてこの過熱ぶりだ。
欧州には3000もの電力会社があり、国境を越えて、地域を超えて、その電気の融通、利害調整は本当に複雑怪奇である。にもかかわらず、なぜ欧州全体でのクリーンエネルギー給電網が作り上げられるのか。それは複雑な発電形態の統合管理、地域的ギャップを調整できるソフトウェア開発、電力オークション市場の育成に注力してきたからだといえる。
日本では、太陽光発電・水素発電でのハード技術は進んでいるものの、いざ実行になると各々の電力の既得権益が優先され、地域間の利害調整を円滑化するソフトと新市場がなく、給電網はおのずから矮小化されてしまう。
事実NAS電池で先行した日本ガイシですら、日本での需要が見いだせず、コストカットを中心にしたNAS電池のハード開発ばかりに目が向いてしまい、給電網全体を動かすソフトウェアの開発に先手を取れず、その時はNAS電池に使ってくれと日参してきた欧米の数理系ソフトウェア会社に、今では逆に、日本ガイシが何とかNASを使ってほしいと頭を下げるしかない状態となっている。
実践力および構想力では日本の新エネルギーモデルはすべて欧米の、特に欧州のコピーキャットにすぎず、この分野では欧州が先行している。
欧州では国家の意思決定とは、人の権利とは、人の幸福とはという哲学が、環境保護云々以前に真剣に議論されており、すべての官僚、民間、金融機関等の関係者がそこに共鳴して、ここまでのクリーンエネルギー電力供給体制を出現させた。
環境問題の総合的な取り組みには、まず経済行動や経済合理性があるのではなく、リベラルアーツというか各学問の結集した総合智が基盤になければならないと思うのは私だけだろうか。